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横浜地方裁判所 昭和59年(行ウ)1号 判決

原告

北見正一

被告

細郷道一

右訴訟代理人弁護士

村瀬統一

上村恵史

右訴訟復代理人弁護士

大笹秀一

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、横浜市に対し、一億円及びこれに対する昭和五九年一月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告の本案前の答弁

1  本件訴えを却下する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

三  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求の原因

1(当事者)

原告は、横浜市の住民であり、被告は、昭和五三年四月一六日から現在まで横浜市長(以下、単に「市長」という。)の職にあるものである。

2(被告の財務会計上の行為とその違法性)

(一)  被告は、昭和五七年一一月から同五八年一〇月までの一年間、市長の事務部局に属する四等級の一般職職員(係長等)のうち別紙目録(略)記載の六〇〇名の各人に対し、少なくとも、一か月当たり給料二〇万六二七三円及び調整手当一万八五六四円の合計二二万四八三七円の給与を支給した。

(二)  しかしながら、被告の右行為は、後記の3ないし5のとおり、給与減額措置をとらなかった限度で違法である。

3(横浜市一般職職員の勤務時間、休息時間)

(一)  横浜市一般職職員の勤務時間については、横浜市の条例及び規程が次のとおり定めている。

横浜市一般職職員の勤務時間に関する条例(昭和二六年一二月一日条例六一号、昭和五八年三月五日条例一〇号による改正前のもの、以下「旧勤務時間条例」という。)二条一項は、「職員(同条例一条により、一般職職員を指す。)の勤務時間は、休憩時間を除き、一週間について四〇時間を下らず、四八時間をこえない範囲内において任命権者が定める。」と定めている。

これを受けて、横浜市一般職職員の勤務時間に関する規程(昭和三一年五月一七日達一四号、昭和五八年三月三一日達一四号による改正前のもの、以下「旧勤務時間規程」という。)二条は、「職員(同規程一条により、市長の事務部局に属する一般職職員を指す。)の勤務時間は、月曜日から金曜日までは午前八時三〇分から午後五時までとし、土曜日は午前八時三〇分から午後零時三〇分までとする。ただし、別表に指定する職員については、土曜日においても午前八時三〇分から午後五時までとする。」と定めている。

しかしながら、横浜市一般職職員の勤務時間に関する規程の臨時特例に関する規程(昭和三八年八月一日達一二号、以下「勤務時間臨時特例規程」という。)は、これを修正して、「市長の事務部局に属する一般職職員の勤務時間に関しては、勤務時間規程二条の規定にかかわらず、昭和三八年七月一五日から当分の間、土曜日は午前八時四五分から午後零時四五分までとする。ただし、勤務時間規程別表に掲げる職員を除く。」旨を定めている。

以上の条例及び規程によれば、市長の事務部局に属する一般職職員(ただし、勤務時間規程別表に掲げる職員を除く。以下、同じ。)(以下、単に「市職員」ということがある。)の勤務時間は、昭和三八年七月一五日以後、月曜日から金曜日までは午前八時三〇分から午後五時まで、土曜日は午前八時四五分から午後零時四五分までと定められているが、なお、旧勤務時間条例三条二項に基づき定められた旧勤務時間規程三条により、月曜日から金曜日までは午後零時から午後零時四五分までが休憩時間とされているので、同職員の一週間の勤務時間は、右休憩時間を控除して、四二時間四五分と定められていることになる。

(二)  市職員の休息時間については、昭和五八年三月以前、横浜市の条例、規程及び依命通達が次のとおり定めていた。

旧勤務時間条例四条一項本文は、「任命権者は、所定の勤務時間のうちに、四時間につき一五分の休息時間を置くことができる。」と定めていた。

これを受けて、旧勤務時間規程四条本文は、「休息時間は、午前一〇時一五分から午前一〇時三〇分まで及び午後三時から午後三時一五分までとする。」と定めていた。

しかしながら、「出勤簿整理事務要領の改正及び休息時間の一部変更について」と題する横浜市総務局長の依命通達(昭和三八年七月一一日総人一六九号、以下「依命通達一六九号」という。)は、これを修正して、昭和三八年七月一五日から同年九月三〇日までの間につき、「休息時間の割振りは、旧勤務時間規程四条本文の規定にかかわらず、月曜日から金曜日までは午前八時三〇分から午前九時まで、土曜日は午前八時四五分から午前九時までとする。」旨を、「職員の休息時間について」と題する横浜市総務局長の依命通達(昭和三八年九月三〇日総人三〇七号、以下「依命通達三〇七号」という。)は、同年一〇月一日以後の休息時間につき、同旨の定めをした。

以上の各依命通達は、要するに、休息時間を勤務時間の始めに割り振り(以下「本件割振り」という。)、これによって、市職員の午前九時出勤制を容認するものである。

(三)  前記(一)の勤務時間についての定めに加えて、右(二)の休息時間についての定めによれば、職員の勤務時間は、昭和三七年七月一五日以後、実質的には、月曜日から金曜日までは午前九時から午後五時まで、土曜日は午前九時から午後零時四五分までとなり、同職員の一週間の勤務時間は、前記(一)の休憩時間を控除して、四〇時間となっていた。

(四)  そして、市職員の休息時間について、昭和五八年三月、横浜市の条例及び規程が、次のとおり改悪された。

昭和五八年三月五日条例一〇号による改正後の勤務時間条例(以下「現行勤務時間条例」という。)四条一項本文は、従前「任命権者は、所定の勤務時間のうちに、四時間につき一五分の休息時間を置くことができる。」とされていたものを、「任命権者は、所定の勤務時間のうちに、三〇分を超えない範囲内で休息時間を置くことができる。」と改悪された。

これを受けて、昭和五八年三月三一日達一四号による改正後の勤務時間規程(以下「現行勤務時間規程」という。)四条本文は、従前「休息時間は、午前一〇時一五分から午前一〇時三〇分まで及び午後三時から午後三時一五分までとする。」とされていたものを、「勤務時間内に、一日につき三〇分の休息時間を置く。ただし、土曜日にあっては、市職員の休息時間は、一五分とする。」旨改悪された。

4(本件割振りの違法性)

(一)  本件割振りは、休息時間を勤務時間の始めに置くことにより、市職員につき、午前九時出勤制を容認し、実質的に右職員の一週間の勤務時間を四二時間四五分から四〇時間に短縮したものであるところ、これは、旧勤務時間条例四条一項本文によって右職員の任命権者である横浜市長に委ねられた休息時間の設定についての裁量権を濫用したものであり、また、地方公務員法三四条五項の規定にも違反するから違法である。

(二)  本件割振りがなされた当時、旧勤務時間条例四条一項本文が「任命権者は、所定の勤務時間のうちに、四時間につき一五分の休息時間を置くことができる。」と定めていた。

ところで、勤務時間とは、職員がその職務に従事すべき時間であり、その場所は、原則として、勤務場所即ちいわゆる職場である。

他方、休息時間とは、一般に、長時間職務に従事することによって生じる疲労の回復と公務の能率の増進を図るため、公務に支障がない限度内において、勤務時間の中途に与えられる一五分程度の小休止の時間であり、一定時間(おおむね四時間)の連続する正規の勤務時間ごとに与えられるものである。

そして、休息時間は、正規の勤務時間に含まれ、給与の対象となるから、任命権者の指揮監督下にあって拘束される時間であり、いつでも職場に復帰できうる態勢にある時間であって、職場における小休止であり、自宅又は出勤途上における小休止ではない。

したがって、休息時間を勤務時間の始め又は終りに置くことは、その意義に照らして無意味であるとともに、現実には、職員がその時間分に相当する登庁時刻を遅くし又は退庁時刻を早くすることを容認して、実質的に勤務時間を短縮することになる。

休息時間が右のようなものであるため、国の一般職職員の場合には、休息時間を勤務時間の始め又は終りに置くことが許されていないし、また、地方公共団体の一般職職員の場合には、自治省の準則が右同旨の規定を設けているばかりでなく、同省が再三にわたり都道府県知事及び同知事を通じてその管下市町村に対し「休息時間を勤務時間の始め又は終りに設けることにより、実質的に勤務時間を短縮するような運用は行わないこと」を指摘した通達を発している。

以上によれば、休息時間を勤務時間の始めに置くことは許されないものであるから、本件割振りは、市長に委ねられた休息時間の設定についての裁量権を濫用したものであって違法である。

(三)  地方公務員法二四条五項は、地方公共団体の一般職職員の勤務時間につき、国及び他の地方公共団体の一般職職員との間に権衡を失しないように適当な考慮が払われなければならない旨を定めている。

ところで、国の一般職職員については、人事院規則一五―一第四条が一週間の勤務時間を四四時間と明示して定めており、神奈川県その他ほとんどの地方公共団体の一般職職員についても、その条例等が同様に四四時間と定めている。また、神奈川県、川崎市、横須賀市等においては、その職員につき、午前八時三〇分出勤制を採用しており、他の地方公共団体においても、その職員につき、午前九時出勤制を採用しているものはないと思われる。

しかるに、横浜市においては、市職員につき、前記のとおり、一週間の勤務時間が四二時間四五分と定められているが、本件割振りは、これを実質的に四〇時間に切り下げ、かつ、午前九時出勤制を容認している。

したがって、本件割振りは、国及び他の地方公共団体の一般職職員との権衡を失しており、地方公務員法二四条五項に明白に違反する。

5(給与の減額)

(一)  横浜市一般職職員の給与に関する条例(昭和二六年三月三一日条例一五号、以下「給与条例」という。)一三条は、「職員が、その職務に従事しないときは、人事委員会規則で定める場合を除く外、その職務に従事しない一時間につき、第一九条に規定する勤務一時間当りの給与額を減額する。」と定め、同一九条は、「勤務一時間当りの給与額は、給料の月額、これに対する調整手当の月額、初任給調整手当の月額、特殊勤務手当の月額、産業教育手当の月額及び定時制教育手当の月額の合計額を一月の勤務時間で除した額とする。」と定めている。

(二)  ところで、市職員の一週間の勤務時間が、四二時間四五分と定められているものの、本件割振りによって、右職員の午前九時出勤制が容認され、右職員の一週間の勤務時間が、四〇時間となっていることは、前記のとおりである。

(三)  そうすると、右職員は、一週間につき二時間四五分、一か月につき一一時間その職務に従事していないことになるから、右職員の一か月の給与から一一時間分の金額を減額すべきことになる(以下「給与減額措置」という。)。

6(被告の責任)

被告は、昭和五三年四月一六日に市長に就任したが、市職員の給与減額措置を講ずべきところ、故意又は重過失によって、これを怠り、右職員に対し右減額措置をしないままの給与を支給し、もって、違法に右減額相当額の公金を支出させ、横浜市に対し後記のとおりの損害を与えた。

7(損害)

被告は、昭和五七年一一月から同五八年一〇月までの一年間、市長の事務部局に属する四等級の一般職職員(係長等)のうち別紙目録記載の六〇〇名の各人に対し、少なくとも、一か月当たり給料二〇万六二七三円及び調整手当一万八五六四円の合計二二万四八三七円の給与を支給した。

右各人の一か月当たりの勤務時間を一七一時間(四二時間四五分/週×四週)とし、その勤務に従事しなかった時間を一一時間とすると、右各人につき、その一か月当たりの給与から一万四四五四円(二二万四八三七円/月÷一七一時間×一一時間)、その一年当たりの給与から一七万三四四八円(一万四四五四円/月×一二月)を減額すべきであったこととなる。

右六〇〇名の一年当たりの給与から減額すべきであった金額は、一億〇四〇六万八八〇〇円(一七万三四四八円/人×六〇〇人)となるので、被告は、横浜市に対し、少なくとも、一億円(同目録記載の一番目から五七六番目までの者についての同金額九九九二万〇五〇四円並びに同目録記載の五七七番目の者についての昭和五七年一一月分から同五八年三月分までの給与から減額すべきであった金額及び同年四月分の給与から減額すべきであった金額の内金七二二六円の合計)の損害を与えたことになる。

8(監査請求経由)

原告は、昭和五八年一〇月一七日、横浜市監査委員に対し、以上の趣旨を含む監査請求をしたが、同委員から同年一二月一五日付けで原告の監査請求を棄却する旨の監査結果の通知を受けた。しかしながら、原告は、右監査結果には不服がある。

9(結語)

よって、原告は、地方自治法二四二条の二第一項四号に基づき、横浜市に代位して、被告に対し、一億円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五九年一月二四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を横浜市に支払うことを求める。

二  被告の本案前の主張

1  原告は、被告が、市職員の給与減額措置をすべきところ、故意又は重過失によって、これを怠り、右職員に対し右減額措置をしないままの給与を支給し、もって、違法に右減額相当額の公金を支出させ、横浜市に対し損害を与えた旨主張するが、給与の支給に関する支出負担行為又は支出命令自体に違法事由があるというのではなく、本件割振りに違法事由がある旨主張する。

しかしながら、本件割振りは、勤務時間条例に基づいて任命権者である横浜市長がなした休息時間に関する決定であって、それ自体地方自治法二四二条一項所定の行為、即ち財務会計上の行為とはいえない。

したがって、同項所定の行為の違法を理由としない本訴は、不適法である。

2  仮に、横浜市が被告の違法な財務会計上の行為により損害を被っているとしても、横浜市の被告に対する損害賠償請求権は、地方自治法二四三条の二所定の賠償命令によって始めて確定されて具体的権利となり、その行使も専ら自己完結的な同条所定の手続によってのみ行われるべきもので、民法の規定の適用は排除されるものである。

したがって、右賠償命令確定前には、横浜市は被告に対し実体法上の損害賠償請求権を有せず、これがあることを前提とする本訴請求は、権利保護の資格を欠き不適法であるとともに、賠償責任の有無及び賠償額の決定並びにその責任の実現は専ら同条所定の手続によってのみなされるべきもので、これとは別に横浜市が被告に対し民事訴訟を提起することはできないから、これができることを前提とする本訴は不適法である。

三  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1の事実は認める。

2(一)  同2(一)の事実は知らない。

(二)  同(二)の主張は争う。

3(一)  同3(一)の事実は認める。

(二)  同(二)のうち、本件割振りが市職員の午前九時出勤制を容認するものであることは否認し、その余の事実は認める。

(三)  同(三)の事実は否認する。

(四)  同(四)のうち、原告主張のとおり横浜市の条例及び規程が改正されたことは認め、これが改悪にあたることは否認する。

4  同4の主張は争う。

5(一)  同5(一)の事実は認める。

(二)  同(二)のうち、市職員の勤務時間が四二時間四五分と定められていることは認め、その余の事実は否認する。

(三)  同(三)の主張は争う。

6  同6のうち、被告が昭和五三年四月一六日に市長に就任したこと及び市職員に対し給与減額措置をしないままの給与を支給したことは認め、その余の事実は否認する。

7  同7の主張は争う。

8  同8の事実は認める。

9  同9の主張は争う。

四  被告の主張

1(本件割振りの適法性について)

(一)  地方公務員の勤務時間は、条例で定められるが(地方公務員法二四条六項)、休息時間を条例自体で規定するか、それともその定めを地方公共団体の長に委任するかは立法政策の問題である。

国の一般職職員の場合には、人事院規則一五―一第八条三項が「休息時間は、勤務時間の始め又は終りに置いてはならない。」と定めているが、地方自治法及び地方公務員法には、地方公共団体の一般職職員の休息時間をいつ置くか等については何等の規定もなく、条例の定めに委ねられている。

そして、横浜市においては、現行勤務時間条例四条一項本文が、「任命権者は、所定の勤務時間のうちに、三〇分を超えない範囲内で休息時間を置くことができる。」と定めて、休息時間を勤務時間内のいずれに割り振るかについては、任命権者の裁量に委ねている。

したがって、休息時間を勤務時間の始めに置くことは妥当性の問題であるにとどまり、違法性の問題を生ずる余地は全くない。

(二)  仮に、休息時間を勤務時間の始めに置くことによって違法性の問題を生ずる余地がありうるとしても、本件割振りは、次のとおり、任命権者がその裁量権を濫用したものではない。

本件割振りは、昭和三八年七月一五日以後現在まで続いているが、〈1〉横浜市においては、国の場合と異なり直接市民と接する業務を行う職場が多く、そのような職場では休息時間を勤務時間の途中に置くと、休息のために執務が中断し、市民サービス及び事務事業に支障を生ずるうえ、実際問題として職員が休息を取ることが困難となること、〈2〉同三八年当時、交通機関の混雑緩和のため社会的に時差出勤が要請され、横浜市もこれを受けて時差出勤を実施する必要があったこと、〈3〉その当時から、行政官庁においては、多数の職員が勤務開始直前に一度に出勤して同時に出勤簿に押印することが困難であることを考慮して勤務時間の始めに出勤簿整理時間ないし出勤猶予時間を置き、その時間内に出勤した者は遅刻としない取り扱いが事実上行われていたこと、〈4〉横浜市においては、本件割振りの後は、午前九時以前即ち休息時間のうちに出勤簿の整理は完了し、実働時間にくいこんで出勤簿整理時間がとられるなどということは全くなくなったこと、〈5〉本件割振りがあっても、予め指示した場合には、職員を午前八時三〇分から職務に従事させることとしており、これにより休息できなかった時間を他の時間帯に繰り越すことも認められていないこと、〈6〉現在においては、社会的な潮流として、勤務時間の短縮が要請されていること、〈7〉本件割振りが、実質的に午前九時出勤制を容認するものであり、これによって、市職員の一週間の勤務時間が実質的に四〇時間になっているとしても、元来その任命権者である横浜市長は、右職員の一週間の勤務時間につき四〇時間から四八時間の範囲内で定めることができるとされていること(勤務時間条例二条一項)、以上に照らして、本件割振りは、任命権者がその裁量権を濫用したものではない。

2(被告の責任について)

本件割振りは、被告が市長に就任する一四年余り前に制度化され、右就任時には、職員の労働条件の一として定着していた。

一般的に、新しく就任した市長は、一見して明らかに違法性に問題があり、議会等から強く批判され続けてきたというような場合を除き、前任者時代の施策の細かい点についてまで、その適法性を精査すべき注意義務を負うものではない。したがって、本件において被告が本件割振りの適法性につき特に注意を払わなかったとしても、このことが被告の過失となるものではない。

また、このように定着した労働条件の変更(特に実質的に労働条件の改悪につながる場合)は、職員に対する人事行政の一貫性、安定性という面からも望ましいことではないので、これを変更しないことにつき被告の法的責任を問うには、その違法性の明白度、変更に伴う市行政に波及する不利益を総合して判断されるべきである。

3(損害について)

(一)  原告は、被告が市職員に対し、給与減額措置をしないままの給与を支給し、もって、横浜市に対し右減額相当額の損害を与えた旨主張するが、右職員は、任命権者の定めた本件割振りに従ってその職務に従事しなかったものであるから、横浜市が右職員の給与減額措置をなしうる筋合のものではない。

したがって、横浜市には、損害が生じていない。

(二)  また、仮に、原告の主張のとおり、被告が右職員の給与減額措置をなすべきところ、右職員に対し右減額措置をしないままの給与を支給したのであれば、横浜市は、右職員に対し右減額相当額の不当利得返還請求権を有することとなるから、横浜市には、損害が生じていない。

(三)  更に、仮に、原告の主張が正当であるとしても、別紙目録記載の各職員が昭和五七年一一月から同五八年一〇月までの間の各月に午前八時三〇分から午前九時までに出勤して現実にその職務に従事している場合もあるから、その職務に従事しなかった各時間は、一律に一か月当たり一一時間であるとはいえない。

五  被告の主張に対する原告の認否及び反論

1(一)  被告の主張1(一)は、争う。

地方自治法及び地方公務員法が、地方公共団体の一般職職員の休息時間をいつ置くかについて何等定めていないとしても、地方公共団体が自由に定めてよいものではない。

(二)  同(二)のうち、本件割振りが昭和三八年七月一五日以後現在まで続いていること、同年当時、交通機関の混雑緩和のため社会的に時差出勤が要請されていたこと、現在においては、社会的な潮流として、勤務時間の短縮が要請されていることは認め、その余は争う。

同二〈1〉については、直接市民と接する業務を行う職場で、休息時間を勤務時間の途中に置いても、各種事務機器の発達により事務の敏速化が図られていること、控えの人員も多いこと等から、市民サービス及び事務事業に支障を生ずることはなく、実際問題として現在でも職員が午前一〇時と午後三時には休息を取っている。

同〈2〉については、現在では、交通機関の混雑もだいぶ改善されている。また、時差出勤のためであれば、登庁及び退庁時間を共に繰り下げればよいところ、退庁時間の繰り下げは、行われていない。

同〈3〉〈4〉については、横浜市の職場では、部、課ごとに出勤簿に押印することにより、押印は極めてわずかな時間で済ませることができる。

同〈7〉については、任命権者である市長が、市職員の一週間の勤務時間につき四〇時間から四八時間の範囲内で定めることができる(勤務時間条例二条一項)と定められているとはいえ、市長がその最下限を定めることは、裁量の範囲を逸脱するものである。

2  同2のうち、本件割振りが、被告が市長に就任する一四年余り前に制度化されたものであることは認め、その余は争う。

被告は、元自治省事務次官の職にあって地方公共団体を直接的に指導、監督する立場にあった者であるから、市長就任後、速やかに本件割振りを改廃する責務があった。しかるに、被告は、これを改廃するどころか、昭和五八年に市職員の午前九時出勤制の容認を糊塗するため、旧勤務時間条例四条一項本文及び旧勤務時間規程四条本文を改悪した。

3  同3は争う。

第三証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  まず、被告の本案前の主張について判断する。

1  被告は、原告が本件割振りの違法であることを主張しているが、本件割振り自体は財務会計上の行為には当らないから、本訴は不適法である旨主張するが、原告は、本件割振りが違法であるから、市職員の給与減額措置をなすべきところ、被告は、右職員に対し右減額措置をしないままの給与を支給し、もって、違法に右減額相当額の公金を支出させ、横浜市に対し損害を与えた旨主張していることが明らかであるから、被告の右主張は失当であり、採用することができない。

2  被告は、横浜市の被告に対する損害賠償請求権は、地方自治法二四三条の二所定の賠償命令及び同条所定の手続によってのみ確定され実現されるべきものであるから、本訴が不適法である旨主張する。

しかし、同法二四三条の二の規定は、同条一項所定の職員の行為に関する限りその損害賠償責任については民法の規定を排除し、その責任の有無又は範囲は専ら同条一、二項の規定によるものとし、また、右職員の行為により当該地方公共団体が損害を被った場合に、賠償命令という地方公共団体内部における簡便な責任追及の方法を設けることによって損害の補てんを容易にしようとした点にその特殊性を有するものにすぎず、当該地方公共団体の右職員に対する損害賠償請求権は、同条一項所定の要件を充たす事実があればこれによって実体法上直ちに発生するものと解するのが相当であり、同条三項に規定する長の賠償命令をまって初めてその請求権が発生するとされたものと解すべきでない。そして、普通地方公共団体の長は、その職責(同法一三八条の二)等に鑑み、他の職員と異なる取扱をされることもやむを得ないものであり、かかる普通地方公共団体の長の職責並びに同法二四三条の二の規定の趣旨及び内容に照らせば、同条一項所定の職員には当該地方公共団体の長は含まれず、普通地方公共団体の長の当該地方公共団体に対する賠償責任については民法の規定によるものと解するのが相当である(最高裁昭和五八年(行ツ)第一三二号、昭和六一年二月二七日第一小法廷判決、民集四〇巻一号八八頁参照)。

したがって、被告の右主張は採用することができない。

二  そこで、本案について検討するが、請求の原因1、3(一)、(二)(但し、市職員の午前九時出勤制を容認する点を除く。)、(四)(但し、現行勤務時間条例及び同規程が改悪されたものである点を除く。)、5(一)の事実に加え、被告が昭和五三年四月一六日に市長に就任したことは当事者間に争いがない。

三  原告は、市職員が違法な本件割振りに基づき、正規の出勤時間に遅れ、午前九時に登庁しているにもかかわらず、被告が市長として、市職員に対し給与減額措置をしないことは横浜市に対する不法行為である旨主張するので、被告が市長として、市職員の本件割振りに基づく勤務につき、給与減額措置を講じないことが民法七〇九条にいう「違法な行為」に当るか否かについて、検討する。

1  そこで、まず、本件割振りの適否について検討する。

(一)  地方自治法一七二条四項は、普通地方公共団体の補助機関である職員(ただし、副知事、助役、出納長、副出納長、収入役、副収入役、出納員その他の会計職員を除く。)に関する勤務時間その他の勤務条件に関しては、地方公務員法の定めるところによる旨定め、地方公務員法二四条六項は、職員(同法四条一項により、一般職に属するすべての地方公務員を指す。)の給与、勤務時間その他の勤務条件は、条例で定める、としているから、横浜市における市職員の勤務時間その他の勤務条件は、同市の条例で定められることになる。

(二)  前記事実に加え、(証拠略)によれば、次のとおりの事実が認められる。

(1) 昭和二六年一二月一日から同五八年三月三一日まで施行された旧勤務時間条例は、「この条例は、地方公務員法二四条六項の規定に基づき、一般職職員(以下「職員」という。)の勤務時間に関し必要な事項を定めることを目的とする。」(一条)としたうえ、「職員の勤務時間は、休憩時間を除き、一週間について四〇時間を下らず 四八時間をこえない範囲内において任命権者が定める。」(二条一項)、「任命権者は、一日に勤務時間が六時間をこえる場合においては四五分、八時間をこえる場合においては一時間の休憩時間を、それぞれ所定の勤務時間の途中に置かなければならない。」(三条二項)、「任命権者は、所定の勤務時間のうちに、四時間につき一五分の休息時間を置くことができる。但し、休息時間は、これを与えられなかった場合においても繰り越されないものとする。」(四条一項)、「前項の規定による休息時間は、正規の勤務時間に含まれる。」(同条二項)と定めていること、市職員の任命権者である市長が旧勤務時間条例六条の規定に基づき制定した旧勤務時間規程においては、「市職員の勤務時間及び休憩時間等に関しては、別に定めがあるもののほか、この規程の定めるところによる。」旨(一条)定めたうえ、「職員の勤務時間は、月曜日から金曜日までは午前八時三〇分から午後五時までとし、土曜日は午前八時三〇分から午後零時三〇分までとする。ただし、別表に指定する職員については、土曜日においても午前八時三〇分から午後五時までとする。」(二条)、「休憩時間は、午後零時から午後零時四五分までとする。ただし、前条本文の勤務時間による職員に対しては、土曜日には休憩時間を与えない。」(三条)、「休息時間は、午前一〇時一五分から午前一〇時三〇分まで及び午後三時から午後三時一五分までとする。ただし、業務の都合により一日につき三〇分の範囲内でこれを変更することができる。」(四条)と定められ、なお、市長の制定した勤務時間臨時特例規程により、市職員の土曜日の勤務時間に関しては、昭和三八年七月一五日から、午前八時四五分から午後零時四五分までと定められていること、市長の命を受けて総務局長名により発せられた依命通達一六九号は、旧勤務時間規程の休息時間につき、昭和三八年七月一五日から同年九月三〇日までの間につき、「休息時間の割振りは、勤務時間規程四条本文の規定にかかわらず、月曜日から金曜日までは午前八時三〇分から午前九時まで、土曜日は午前八時四五分から午前九時までとする。」旨を定め、同様に発せられた依命通達三〇七号は、同年一〇月一日以後につき、同旨の定めをしたこと、そこで、横浜市においては、昭和三八年七月一五日以降市職員の休息時間につき、月曜日から金曜日までは午前八時三〇分から同九時まで、土曜日は午前八時四五分から同九時までとの本件割振りがなされ、これが実施されていたこと、

(2) 旧勤務時間条例が改正され、昭和五八年四月一日から施行された現行勤務時間条例は、市職員の休息時間につき、「任命権者は、所定の勤務時間のうちに、三〇分を超えない範囲で休息時間を置くことができる。ただし、休息時間は、これを与えられなかった場合においても繰り越されないものとする。」(四条一項)、「前二項の規定による休息時間は、正規の勤務時間に含まれる。」(同条三項)と定め、同条例六条に基づいて市長によって制定された現行勤務時間規程は、右休息時間につき、「勤務時間内に、一日につき、三〇分の休息時間を置く。ただし、土曜日は一五分とする。」(四条)と定めていること、そして、現行勤務時間条例施行後においても、市職員の休息時間につき、旧勤務時間条例施行時と同様に、依命通達三〇七号に基づき、月曜日から金曜日までは午前八時三〇分から同九時まで、土曜日は午前八時四五分から同九時までとの本件割振りが実施されていたこと、

(3) 市職員の昭和三八年七月一五日からの旧勤務時間規程又は現行勤務時間規程等に基づく一週間当りの勤務時間は、休息時間を含み四二時間四五分であること、

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定事実によれば、市職員の休息時間については、昭和三八年七月一五日以降、横浜市の条例に基づき、任命権者である横浜市長の定めた本件割振りにより、月曜日から金曜日までは勤務時間の始めに三〇分、土曜日は同様に一五分とされているものということができる。

(三)  ところで、休息時間は、一定時間の勤務を続けた場合の軽い疲労を回復し、公務能率の増進を図ることを目的として職員に対して与えられる短時間の勤務休止時間であるから、これを勤務時間の始め又は終りに置くことはその趣旨に反するので、例えば、人事院規則一五―一(職員の勤務時間等の基準)第八条四項は、「休息時間は、勤務時間の始め又は終りに置いてはならない。」と定めているのである。

そうすると、本件割振りは、旧勤務時間条例又は現行勤務時間条例において休息時間を設けている趣旨に副わないと解される余地はある。

そのうえ、本件割振りによって、市職員の登庁時間が月曜日から金曜日までは三〇分間、また、土曜日は一五分間遅くなり、勤務時間がそれだけ短縮したかのような観を呈することは否めない。

しかし、休息時間においては、職員は職務専念義務(地方公務員法三五条)を負わないものということができるから、市職員が本件割振りによって休息時間に職務に従事しなかったからといって、これをもって右義務に違反するものともいうことができないし、更に、本件割振りが、市職員に当局の指揮監督からの離脱を許し、休息時間の自由な利用又は活動までを保障しているとまではいうことのできないことも明らかである。

そうすると、休息時間についての本件割振りは、旧勤務時間条例又は現行勤務時間条例に違反するとまではにわかに断定し難いのみならず、地方公務員法二四条五項所定の権衡の原則に違反するとまでもいうことはできない。

2  休息時間についての本件割振りがその趣旨からみて妥当性を欠き、好ましい措置ということはできないが、本件割振りが横浜市の条例に基づいて市長によって定められた措置であり、これが法令に違反していないことは前記説示のとおりであるところ、本件割振りによって、市職員が勤務から解放され、当局の指揮監督が全く及ばなくなっているとか、あるいは、横浜市の業務の執行に支障が生じているなどの特段の事情の存在などを認めるに足りる証拠もない。

そうすると、被告が市長として、本件割振りに基づく休息時間を勤務時間として給与を支給したとしても、それが不法行為の要件である、いわゆる違法な行為に当るとまでは断定することができないものといわざるをえない。

四  よって、原告の本訴請求は、その余の点については判断するまでもなく、理由がないから棄却することとし、訴訟費用(参加によって生じた費用を含む。)の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条及び九四条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 古館清吾 裁判官 橋本昇二 裁判官足立謙三は、転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 古館清吾)

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